出張Think School作品「受動的主体性(仮) 」- Think School 企画コース8期特別賞受賞者企画-
11月からスタートしたさっぽろアートステージ2024。
札幌駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)には、アートとまちづくりを学ぶアートスクールThink Schoolの企画コース8期特別賞受賞者企画を展示しています。
出展者:小堀秀平
タイトル:「受動的主体性(仮) 」- Think School 企画コース8期特別賞受賞者企画-
なんと展示は、「ストリート麻雀」!
ときどき本人が来て、歩行者と麻雀をしています。
会場には、小堀さんの企画コンセプトが掲出されていますが、ここでご紹介いたします。
受動的主体
小堀秀平
共同とはなんだろう? かつて、国境という境界線が共同の根拠となり、ナショナリズム的連帯を生み出してきました。対して、現代のグローバル化や新自由主義的潮流の中では境界は交流と流通の障壁とみなされ異種混合性や流動性が称揚されています。強固な境界線によって発生した人種侵害や世界戦争の反省を考えると、ポスト近代において、その強固な境界線は除去されるべきものであり、流動性や異種混合的な物が称揚されたことは当然の帰結であるともいえます。
では、今現在境界線が曖昧になっている状態で謳われているような「共同」とは何に基づいているのでしょうか?
昨今、開放の動きは脱領域的な「共同」に対して、跳ね返りの動きを見せています。国際政治的には EU離脱やトランプ政権のナショナリズムがそうかもしれません。彼らは解放性の強い世界に対して、明確な境界線をもう一度引き直した、といえるでしょう。自由な言論の場として期待され、民衆の手に 解放された情報媒体としてのSNSにおいては、言論統制の権力は大衆に引き継がれ、 抑圧と論破の場 になっています。解放性による無摩擦空間は、人々はそれに対する防御反応として、返って異質性を受 け入れない不寛容が蔓延った、言い換えるならば、異なるモノ同士が結びつくための境界の除去は返って壁を作り出したように思うのです。
さらにいうならば、境界線の除去が現にある支配一被支配の不均等な関係性に対して、何をもって異議を申し立てるべきか見えにくくしていると感じてしまいます。明確な境界線は人権侵害という悲惨な 事件をもたらしたと同時に、劣ったとされた民族たちはその境界を拠り所として、自分たちの不遇な立 場を表明することができた側面もあります。近代の硬直性を乗り越えようとした種々の活動が、異種混 合性によってアフリカ奥地でコカコーラを飲みながら、ジャスティンビーバーを聴くことを称揚したわけではないはずです。 彼らの思考を引き継ぎながらも新しい境界について考える必要がないでしょうか?
さて、麻雀は向かい合った4人の間だけで行われる内向きなゲームです。この内向き性と路上空間で 行われるという異質性は、歩行者との境界線を作り出すでしょう。外からは4人の共同体のようにも見えるでしょうが、内実としては点数の奪い合いという敵対関係があります。参加者はこの境界線の内部 に入りながらも、一局を終了する毎に外部である歩行空間に戻っていきます。
この卓を囲う内部の4人の関係性とその4人と外部である歩行者の関係性から、内部の同質性に拠 ることのない共同の可能性、そして、今あえて境界について語ることの意義を手牌の進行と押し引きのバランスに気を使いながら、考えたいのです。